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【日本百名山】八甲田山(はっこうださん)

八甲田山(はっこうださん)とは…⁉︎

八甲田山(はっこうださん)は、青森県にある標高1,585mの日本百名山です。山岳名 <ピーク>として、「八甲田山 <大岳>」と記述されることもあります…。高原状に広がる八甲田山は、標高1,585mの八甲田大岳を中心として連なる火山群の総称です。八甲田山は、大きく、北部と南部に分かれ、北八甲田は、大岳を主峰として高田大岳、井戸岳、赤倉岳、前嶽、田茂萢岳、小岳、硫黄岳、石倉岳、雛岳の10の山群、櫛ヶ峰をはじめ6峰の山々を南八甲田と言います。それぞれの山は円錐状から台形状になっており、独立峰の厳しさより共和国的な「連なり」となっています。また、八甲田山は、現在でも火山活動があり、地獄沼やその周囲にはガスを噴出する噴気口が残り、酸ヶ湯温泉をはじめ火山の影響が強い有名な温泉がいくつもあります。八甲田の最大の魅力は広大な高層湿原で、夏には高層湿原ならではの貴重なトンボが多く見られ、美しい花の湿原、広大な緑の高原、多くの湖沼群などがあります。また冬から春には樹氷の間を抜けて滑る「スキー」などの楽しみがありますが、ひとたび崩れると新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」に代表させる極寒の地となります…

 

山名の由来…

深田久弥日本百名山・八甲田の項によると「八甲田という名称が、この山の性質を現している。前岳、田茂萢岳(たもやち)、赤倉岳、井戸岳、大岳、小岳、石倉岳、高田大岳の八つの峰と、その山中の所々に湿地、つまり田が多いので、八甲田と名づけられたと伝えられている。」とある…一方、同書の八ヶ岳の項では、「芙蓉八朶(ふようはちだ)、八ヶ岳八甲田山、八重岳(屋久島)などのように、山名に「八」の字をつけた例があるが、いずれも漠然と多数を表したものと見なせばいいだろう。」とある…。八甲田の「八」に関する、やや矛盾のあるところだが、一般に八百万の神、江戸八百八町など「八」は、「漠然と多数を表したもの」の解釈が多く、前記八甲田の項は、「その山中の所々に湿地、つまり田が多いので、八甲田と名づけられたと伝えられている。」を重く採用した方が自然である…

 

私自身、一度山スキーで訪れたことがあるのだが、有名な樹氷は美しく、新田次郎の小説での印象は払拭され、綺麗な印象しかない…

 

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<推薦図書>

この世の地獄! 日本陸軍史に残る悲惨な事件を味わう…。日露戦争前夜の1902年、一つの壮大な人体実験が行われた。厳寒の積雪期において軍の移動が可能であるかを、八甲田山中において検証すべし。青森第五聯隊の神田大尉と弘前第三十一聯隊の徳島大尉は、それぞれ特命を受けて過酷な雪中行軍に挑むことになる。この世の地獄が前途に待ち受けているとも知らずに…。新田次郎八甲田山死の彷徨』は日本陸軍史に残る悲惨な事件を題材とした山岳小説である。気象学を修め、登山家でもあった新田の描く雪山の情景は、恐ろしいほどの現実感をもって読者の胸に迫る。雪地獄の中に呑み込まれていく兵士たちの姿は余りにも卑小であり、大自然の脅威を改めて認識させられる…。2つの部隊は明暗がはっきりと分かれる。深雪の対策を行った三十一聯隊が1人の犠牲者も出さずに任務を完遂したのに対して、気象の苛烈さを侮り、精神論で行軍に挑んだ五聯隊は199名もの死者を出してしまうのだ。組織が自壊するプロセスを描いた小説でもある。雪の中で絶望した神田大尉は「天はわれ等を見放した」と呻くがそうではない。合理性よりも軍人としての面子を優先して行動を開始したその時、彼らにはすでに死の影が忍び寄っていたのだ。兵士たちを殺したのは軍が抱えていた病理そのものだったといえる。終章で語られる二挺の小銃を巡るエピソードに、その異常さが集約されている…。新田の筆致は冷徹を極める。不可避の運命へと向けて行軍していく者たちの姿が眼前に浮かび上がるが、押し止めることは不可能なのである。読者は、一つ、また一つと命が失われていくさまを、ひたすら見つめ続けなければいけない…

書籍名:八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)
著者名:新田 次郎